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理事のコラム

創業者の意味

 2018年7月23日、推進会員であるN社の名誉会長H氏が亡くなられました。ご冥福を心よりお祈りします。私が35年以上所属している企業であり、N社で社会生活を過ごしてきました。今になって考えると、H名誉会長の思い、発想、行動がなければ、私のこれまでの人生は大きく変わっていたことでしょう。
 H名誉会長は、家業が材木商であったこともあり、子ども時代から木材に興味を持ちます。しかし、次男だったことで長男が跡を継ぎ、自分は独立するしかないと考えていました。そこで、親戚の材木店の修行に入り、日本中の産地や製材会社を回り、木材業を学んでいきます。大阪では、300年以上も続いていた木材の「市売り」に出会います。これは当時、なぜか関東では行われていない流通方法でした。熟慮した上で、親戚の社長に「木材の市売りを関東で行いましょう」と提案したのです。その提案に対し社長は、「別会社を設立してやろう。君が社長をやるといい」と認めてくれたのです。そこから一気に行動に移ります。現在のJR京浜東北線の鶴見駅構内の敷地を借りて、全国から木材を集荷し、首都圏の材木店に来場を促します。競りの仕組みが良く分かっていない買い方が集まりましたが、いざ競りが始まると、価格が安いことに気づきはじめ、飛ぶように売れていきました。そして、材木を誰が、いくらで、どのくらい買ったのかが公開され、それを郵送で産地に発信していきます。相対ではいくらで売れたのかわからなかったところから、メーカーや製材会社などといった荷主が、流通会社のあらゆる情報を得られるようになっていきます。資金は、手数料を除いて荷主に渡るようになりますから、信頼と情報を差別化したことにより、市売りというビジネスモデルが関東に根付いていきました。朝鮮特需、オリンピック景気、高度成長時代とフォローの風が吹き、瞬く間に東証二部上場、更に一部上場と発展していきます。今では、建築資材事業、住宅事業、建築工事事業、住まいの管理事業、ケーブルTV事業など、住まいづくりに関連するありとあらゆるビジネスを展開しています。
 考えてみると、H名誉会長がいなければ「N社」は創業されず、現在も存在していないことになります。そうなると、私はこの会社に入ることもなく、元社員と結婚することもないので、子供も変わっていたでしょう。千葉県の九十九里町に家を買うこともなく、木造建築に長く携わることもなかったかもしれません。もちろん、NPO法人 住まいの構造改革推進協会(以下、住構協)が誕生し、私がこの組織に属することも、東日本大震災での仮設住宅の建設を経験することなども、あり得ないことになります。会員の皆様と知り合うチャンスは、皆無と言ってよいでしょう。そのような意味でもH名誉会長は、私の人生においてなくてはならない人であったのです。私と同じような立場の人は、グループの社員だけで3,000名を数え、家族を含めると2万名以上の人にとって、なくてはならない人であったといえます。
 H名誉会長には、入社以来いろいろと教えていただきました。特に、この住構協という組織をつくってからの教えは、濃くなったと思っています。私が講師を務める耐震講演会では、いちばん前に座り、最後まで講演を聞いてくれ、「いやぁ、鈴木の話はわかりやすい、ためになったよ」と話しかけてくださいます。「ありがとうございます」と御礼を言いながら、「いちばん前で寝てましたよね」と心の中で思うことも何度かありました。会長室に呼ばれ、1時間ほど昔話を聞くことも多々ありました。創業時の逸話は、何度聞いても面白く、経営者としての話よりも、人生の大先輩としての話に心を弾ませました。そして、このコラムです。H名誉会長は、誰よりも詳細に読んで下さいました。赤ペンで線を引き、読み込んでくれるのです。そして、気になることがあると、「これはどういうことだ?」と私のところまで聞きにくるのです。こちらは、「まずい、叱られる」と身構えることが数々ありましたが、ほとんどが「そうなのか?そんな考え方があるのか?理系の考え方だ、面白い」と言っていただけるのです。これに元気をいただいて、またコラムを書こうと意欲を高めていました。
 その貴重な読者が、亡くなってしまいました。残念で仕方ありません。私の実父と年齢が近いこともあり、挨拶だけでなく、ついつい腕を取ったり、握手をしたりしながら、話しかけてきました。「おう、鈴木か」といって応えてくれる、H名誉会長のそんな気さくな印象が強く心に残っています。



 

住宅ビジネスが変わる

 最近、土地や住宅活用の相談を受けることが多くあります。戦後の持ち家、いわゆる取得ビジネスが曲がり角に来てはいないかと思ってしまいます。30〜40歳代は相変わらず持ち家への意欲はあるが、その世代はどんどん減少しています。また、70歳代を迎える団塊世代は持ち家が多いため、リフォームの需要が増えてきています。一方、80歳代の持ち家は老朽化が進み、一般的な住宅の機能を失っているにもかかわらず、持ち主が介護施設に入るギリギリまで住んでいるケースがほとんどです。地方に限らず、その多くが空き家予備軍になっています。親が住んでいる以上、どうにもならないと諦め、手を打つこともできないのです。そして、介護施設に入るとか、相続のタイミングで相談に来ます。
 神奈川県Y市の漁村にあるA宅は、相模湾に面する国道沿いの100坪の土地です。建物は塩害の影響もあり、廃屋に見えるほど古くなっています。ご主人は、早くから介護施設にお世話になり、90歳になる奥様の1人住まいで、流石に自分のこともままならなくなり、子供たちの近くに住むことになりました。耐震性能に不安もありましたが、なんと言っても津波の危険性が高かったため、活用相談に来ました。宮城県K市のB氏(55歳)は、製材会社を営む3代目で、駅近くに工場と自宅があるが、跡取りがいないこともあり廃業したいとのことでした。400坪ある土地活用で、不動産収入を得ながら自宅も建て替え、老後に備えたいとの相談でした。千葉県K市のC氏は70歳を迎え、空き家になった実家を見守り続けて10年が経ちました。毎月、欠かさず草取りと窓明けを行ってきましたが、片道60kmの道のりを運転するのも億劫になり、建物活用の相談をいただきました。実家ですから、簡単に手放すことはできないと考えていたようです。地方都市だけではありません。近所の中古住宅を購入し親を呼び寄せたD氏は、数年後に親が亡くなり、その中古住宅は空き家となってしまいました。もはや築30年をすぎ、賃貸にも出せません。
 土地活用を行っていると、いろいろな相談が来ます。もちろん、答えは一つではありません。お客様の状況、土地の状況、建物の状況は一つとして同じものはないからです。それをいかにお客様(地主)にとって、ベストな企画提案ができるかが、結果、自らのビジネスにつながって行きます。「どうにもなりません」というのは簡単ですが、お客様が明らかに「困っている」のですから、何らかの答えを出していかなければなりません。「売るか、貸すか」が基本ですが、ほとんどが「先祖から引き継いだから、売らなくて済むなら…」という気持ちが強いのです。今は、引き出しをいかにたくさん用意できるかということを意識して、建物の運営会社を探しています。コインパーキング、倉庫、アパート、貸店舗、保育園、介護施設、コンビ二、ロードサイドショップなどです。「利回り、利回り」というプロユーザーがはびこっており、困っている地主さんを更に悩ませています。地主様は、多少利回りを下げてでも、長期安定収入を望み、面倒なことから開放され、また相続対策を望むことが多いのです。もちろん、すべてが上手くいくわけでもなく、リスクは残ってしまうケースもあります。
 私たち工務店事業は、建築業です。家や建物をつくるのが仕事です。ものをつくらなければ、収入は得られないのです。小さな机、携帯電話、FAXだけで商売が可能な不動産会社とは、似ても似つきません。私は、どちらかといえば口利きだけで商売するのは大嫌いです。建築家を目指していましたから、立場は皆さんに近いと思います。しかし、社会情勢をよく見ると、受注営業方法が変わってきているのです。民間の元請けを行うには、お客様の悩みを解決するためにも特命受注をするしかありません。お客様自身も自分のニーズを分かっていません。「困っている」ことしか分からない、どうしたらいいのか分からないといった、自らのニーズを顕在化させることができない時代なのです。潜在的な課題を顕在化させること、それが今後の元請事業の営業の中心になると感じています。そのための第一歩は、不動産の知識をつけることや、ネットワークを使って情報を探すことではないかと思います。そして、あらゆる手法を使って顕在化させること。いちばん最初に顕在化させた会社や人が、圧倒的に優位な立場となることは確かなのです。不動産会社だけでなく、税理士、銀行、生命保険代理業など、潜在化した課題を持つ人を知っている人はたくさんいます。

 

箱根駅伝を実践

 10月に入ると、陸上界はマラソンや駅伝といったロードレースが本格的に始まります。高校生も大学生も、そして社会人も始動します。駅伝はチーム力であり、組織での戦いになります。1人のエースが突出した力を持っていても、勝つことはできません。最低でも5人の力が備わっていなければ、勝つことはできない競技なのです。また、所属している組織にとっては、個人の成績よりも「駅伝」が最優先になっているため、マラソンランナーが育たないといわれるほどです。なんと言っても、3時間も4時間も視聴者を釘付けにするこれほど人気のスポーツはそうはありません。そんな駅伝の中でも、最も注目度が高いのが、言うまでもなく「東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」です。今では、「箱根駅伝」に出たかどうかは、甲子園と同じくらいの社会的影響を持っており、営業トークに使えるほどです。今年も、その箱根の予選会が始まりました。
 「箱根駅伝」のルートを、いち早く実践して走ってみました。正式なコースは、大手町から芦ノ湖までで100kmを越えますが、車道を走るわけにはいかないので、歩道、歩道橋、地下道を通るため正式コースよりも長くなります。朝4時半に最初のランナーがスタートし、1区を4人、2区を3人、3区を4人、4区を4人と襷(たすき)をつないで走ります。そして、最後の坂の5区を6区間に分けて、本格的な駅伝を行います。3チーム対抗戦での競争です。私は1区(4km)を走りました。最初の3kmはだらだらとした上りが続き、最後の1kmは急勾配です。思った以上に走ることができましたが、残念ながら最下位でした。そして、大平台、宮ノ下、小涌園と進む中、3チームは抜きつ抜かれつを繰り返し、11時間以内にすべてのチームが芦ノ湖にゴールしました。嬉しい事に私のチームが優勝です。
 駅伝は、請負建築事業に似ていると感じます。1区は営業担当です。とにかく主導権を握るため、スピードが求められます。お客様を自社の家づくりに共鳴させることに注力します。駅伝も1区でリタイアしたら、2区以降はないのです。2区はエース区間でスピードだけでなく、根気も必要です。建築では意匠設計者です。粘り強くお客様の思いを形にしていきます。この設計力でお客様の心を掴みます。そして3区は、実施設計者と積算業務です。建築事業をビジネスにできるか、利益を確保できるか、ここでリタイアすることも多いのです。4区は、工事と品質管理者です。請負事業の本業であり、第2のエース区間となります。そして、5区の山登りはもっとも過酷で苦しく、おまけに長距離です。誰もがやりたがらないが、達成できたときの感動もひとしおです。私は、建築で言えばアフターサービスだと考えています。もっとも長く、もっとも過酷です。しかし、感動も紹介ビジネスもここから発生します。5区が弱い会社は優勝できないのです。建築事業とは、まさしく駅伝なのです。
 先日行われた全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で一つのドラマがありました。中継所まであと数百メートルというところで転倒して負傷し、立つことができずに四つん這いになって進んで、次の走者へ襷をつなぎました。いろいろな意見があるのは当然ですが、走るときは1人でありながらも、チーム競技である駅伝において、選手一人ひとりにかかるプレッシャーは相当なものです。だからこそ、襷をつなげた喜びが大きいということも、一つの事実です。私たちは、建築事業に使命感をもって取り組んでいるはずです。チーム○○として、建築という駅伝を完走できるように力をつけたいと思います。
 

心に残る言葉

「祈りは、遺伝子を活性化する」
 横浜市南区でもっとも古い寺「瑞應山 蓮華院 弘明寺」の、美松住職の言葉です。弘明寺は、檀家を持たず、祈りの寺として代々引き継がれてきた、いわゆるご祈祷だけの収入で経営するお寺です。その「祈り」を科学的に解明しようと、筑波大学の村上和雄名誉教授と細胞や遺伝子の変化を研究します。凄いことですね。

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